男子大学生が一人でバンクーバーに私費留学した話 ①

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(グランビルアイランドからバラード橋を望む)


お久しぶりです。マー君です。

 

 4月の京都・大阪旅行についての更新を放ったらかしにして大学が始まってしまい、そのままになってしまいましたが、今回は前回の更新ではなくまた新しい内容を書きます。

 

 タイトルの通り、私は7月12日から9月8日にかけて約2か月間カナダのバンクーバーで語学留学させていただきました。今回は、「なぜ留学に踏み切ったのかという理由」と「留学に至るまでの準備」について少しお話したいと思います。

 

 私は現在某国立大学の2年次で、社会科学全般の勉強をしています。自分が所属する学科は国際色豊かで多くの帰国子女、留学生と共に日夜勉学にいそしんでいます。また、英語で開講される科目や交換留学も盛んで、それがこの学科を選んだ理由の一つです。

 

 そのため、多くの卒業生が大手企業や国際機関に所属して世界をまたにかける仕事をしています。自分も中学三年生の時に初めて海外を訪れた以降、常に将来は何かしら海外と関わる仕事に就きたいと考えていました。そこで当時自分が好きであった航空自衛隊ブルーインパルスとその思いが重なり、高校に上がったころは、防衛大学校に合格して幹部自衛官になって自衛隊の三大任務の一つである「国際貢献」に身を投じたいと考えるようになりました。

 

 特に私は高校時代、世界史が好きだったので防衛大に入校し、国際関係学を修めて防衛駐在官になるという具体的なキャリアも思い描いていました。そのため、当時から国際的な政治、経済問題に常に意を配り、一般大もも政治学科を受験すると考えていました。

 

 結果、防衛大学校の一般前期入試、現在通っている大学の両方の大学の合格を勝ち取りましたが、まだ今後の人生を決めるには早すぎる、幹部自衛官は大卒でもチャンスがある、といった理由で現在に至ります。

 

 以上のような経過から、私は大学を卒業するまでの目標の一つとして英語をある程度マスターするということを掲げていました。最初はアバウトでしたが、現在ではビジネスで使えるくらい英語は上手になろうと思っています。

 

 しかし、大学に入ってからというものの、英語を話す機会はたくさんあったにも関わらず、まったく話すことができませんでした。英語を話せないことの恥ずかしさはもちろんのこと、日本人と一緒に授業を受けているので、マズイ時にはすぐ日本語に逃げられるというのが最大の原因でした。

 

 そこで、無理矢理にでも英語を話さなければならない環境に身を置いてしまおうと考えるようになったのです。駅前留学でもいいだろという指摘はもっともだろうと思いますが、駅前留学では2・3時間のレッスンが終わればすぐに日本語の環境に戻ってしまうわけです。ここが海外留学との大きな違いだと感じています。また2カ月なんかではただの旅行だといわれる方も多いですが、確かにそんな短期間でペラペラになる人間など存在しません。私の目標は、「英語を話すことに自信をつけ、学ぶべきことを明確にし、今後の英語学習の指針を確立する」ということです。

 

 そこでまず大学の一か月間の短期留学プログラムを調べ応募するも、不採用。安い大学のプログラムと自分で手配する留学を1カ月づつ計2カ月という予定でしたが、結局自分で2カ月手配する運びとなったのです。

 

 費用の高い米国・ヨーロッパをさけ、同時にネイティブでないが安いフィリピン等もさけ、オーストラリアとカナダが残りましたが、南半球は冬、一度行ったことのあるということでバンクーバーに決めました。(無論もう一度行きたかった、バンクーバーから近い米国のベリンハムにチャソがいるという不純な理由もあったが)

 

 費用に関しては、ここでは言及しないことにしますが、ネットで調べていただければ相場はすぐわかると思います。4分の3は自費、残りは親に払っていただきました。無論私の貯金だけでは足りるわけないので、大学入学と同時に受け取っていて、一切手を付けていなかった貸与型の奨学金を利用。仮に卒業後コケても確実に返済できるくらいの額であると判断しました。現地の学校とホームステイ先は自分で手配することも可能でしたが、5月ごろに急遽留学を決意したので時間の余裕がなく、結局エージェントを介して手配。もう少し費用は抑えたかったが背に腹は代えられず。。。

 

 学校に関しては、特に苦手だったリスニングとスピーキングに関する授業に強く、比較的日本人が少なくかつ母国語の禁止規定がある学校を選ぶことにしました。結果的に良い学校だったと思っています。

 

 長くなりましたので続きは次回。。。